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Project Introductionプロジェクト紹介

スパンボンド技術開発
タイ工場立ち上げプロジェクト

異国の地で、
探究心を懸けて勝負する

旭化成は近年、スパンボンド不繊布の海外生産展開に力を注いでいる。その海外工場立ち上げプロジェクトのメンバーに、設備開発部隊として選抜された正時。環境の異なる海外にて、品質の向上を常に追い求めてきた軌跡を辿る。

2008年入社 物質化学工学科卒

正時 佑哉YUYA MASATOKI

不繊布事業部 不繊布技術開発部

付加価値を実現させる開発を経て、
プロセスの現場へ

地元・北海道を後にして、守山へ配属後の4年間は、エステルを原料としたスパンボンド不繊布の商品開発に従事。水をキレイに処理する膜を強化するための分離膜支持体を不繊布で開発する際に、品質をさらに良くしていくこと、また加工の際に不具合が出たときの対応が主な業務だった。「高専時代に学んだ物質化学では出てこない分野なので、入社当時は『そもそも不繊布とは何か?』からスタートしました」。
未知の分野へと背中を押された正時は、先輩に一から教えてもらいながら、専門的な知識や現場での作法など、社会人としての在り方を身につけた。
その4年間で、すでに世に出ている商品に対しての性能改良や、加工によって付加価値をつけることにより、性能を向上させる開発を担当。また、ポリオレフィン原料のスパンボンドへと担当が変わり、マスクやおむつなどの衛生材料を扱うようになった。ここでは、高機能化やコストを抑えながらより良いものを作る改良を担うこととなる。
開発の流れを把握し、現商品への改良の力がついた正時に、ふつふつとこんな探究心が湧いてきた。
不繊布を作るプロセス側をやってみたい―。
「でき上がった布ばかり見ていて、作り方を知らなかった。だから、プロセス側を担当したいと願い出ました」
ちょうど同じ頃、タイ工場の立ち上げのプロジェクトが幕を開けようとしていた。プロセスを担う要員として、正時に白羽の矢が立った。

失敗して門をくぐるわけにはいかない

2011年、タイ工場のスパンボンドの生産工場に大型の設備が建設された。当時の正時は、まだ守山で設備に触れていた程度だった。その4年後の2015年、2号機の設置がプロジェクトとして浮上。その設備開発部隊5人の中に、正時の名前が挙がった。「全く新しい設備を作るという観点で設備開発をしています。その延長で、日本で開発した設備をタイで立ち上げて生産につなげるというプロジェクトでした」。
日本で開発した装置を手にタイへ渡り、メカラン試運転(機械運転試験)で装置を100%の状態にすること。加えて、正時に求められたのは、新設備から生まれる商品が高品質・低コストを実現する事。ましてや、現地のエンジニアリング部隊やタイ人オペレーターなど、100名近くのスタッフを動かさなくてはいけない。
「大きくて1メートル強の不繊布を作るテスト機がありましたが、タイに持っていったのは、5メートル級の設備。当然、規模が大きくなることによりテスト機では見えなかった不具合が出てきます」。だからこそ、テスト機でどれだけ完璧に近づけられるか、安全性や作業性を上げていきながら高精度を追求していけるか。また、高温で溶かしたプラスティックを押し出して布にしていくスパンボンドの工程には、冷却が大事なポイント。高温多湿のタイの気候も考慮する必要がある。慣れない環境下に駐在すること約半年。正時に課された業務は、苦労を伴うものだった。
「何十億をかけて立ち上げたプロジェクト。失敗して帰ってくるわけにはいかなかった。是が非でも成功させなければならないというプレッシャーが、逆に良い動きにつながったように思います」
プレッシャーをバネにしながら限られた時間の中で、正時は異国の地で大プロジェクトを乗り越えた。

常に良いものを追求していく
姿勢を忘れずに

実は、設備開発を担当するようになってから、学生時代の研究がかなり活きている。「実験装置作りをテーマに、圧力損失の計算をする装置として、配管を加工して、測定機器をつけて、そこからプログラミングして計算結果を出すという研究をしていた。実際に今、圧力損失をいかに減らすかということが技術のポイントになっています」。
研究での経験を振り返りながら、正時は今も常に探求をやめない。タイ工場への設備導入後も、もっとキレイな不繊布を作るために基礎を見直し、設備開発を続けている。また、現地のテクニカルサポートも重要な役目だ。
プロジェクトを経て、持ち帰った課題もある。「私は2号機で省エネ担当としての試みもありました。でも、タイで実際に運転してみたら省エネの前にやるべきことがあった。品質を落とさずに安定的に生産できるか。まずは良いものを作るということに集中する必要があった。だから自分が持っていった省エネの技術は、ここで温めています。いつでもできるように」。
設備運転のキャリアはもちろん、深い知識と、恐れずに異国の地へと赴く経験を積んできた。すべては、良いものを追求するために。